未来っていうのはイメージをすると白紙なのかな。
白紙というのは、実は怖いと思うんですよ。
「何か点1コでもうってくれよ!」みたいなね。
そういえば、以前に僕が尊敬してやまない講師の方のセミナーに参加したときに、
こんなことがありました。
「墨絵を描いてみましょう!」ってことで参加者に白紙が配られたのですが、
う〜んと考えるばかりで、誰も描き始めることができなかったんです。
そのときに講師の方が、
「白紙じゃね『何かを描いてください』って言われても、何も描けないでしょ。
ではまず○を描いて点をうってみましょう。○描いてチョン!」
っておっしゃったことが、すごく印象的でした。
そしたらみんな、○描いてチョン!とすると不思議なもので、そこからは自由に描けるようになんたんです。
でも漠然とでしょうけれど、みんな描きたいものがあったと思うんです、
描き始める前は。
何らかのイメージがあったんじゃないかな。
白紙なんだから、何でも描いていいんですよ。
でも、描けなかった。一歩目が怖くて踏み出せなかった。
でも○と点が入っただけで、
「あぁな〜んだ、それでいいのか、そんなんでよかったんや」
みたいな安堵感が出てきたと思うんです。
そこからは○と点をもとにイメージしなおして、墨絵を描いた。
もし講師の方が「この魚を描いてみましょう!」って魚を持ってきたら、どんな墨絵を描いたでしょうか。
ほとんどの人が、紙に魚の全体が入るようにして、頭が左にある魚の絵を描いたんじゃないのかな。
本当は正面からみた絵を描いてもいいし、背中からでも、お腹からでも、ましてや尻尾からでもいいはずなのに。
小学校のときにこんな絵を描く子が、クラスに一人か二人必ずいましたでしょ。
でも大人になったら、その数はぐんと減ると思うんですよ。
なぜなんだろう。
もっと極端な話をすると、もし講師の方が「この墨で描かれた花の絵をそっくりそのまま描いてみましょう」と言ったら、どんなことが起こっていたでしょうか。
たぶん誰も何の違和感もなく、お手本の花の絵を描いたんじゃないのかな。
それもできるだけ、お手本に近づけようとして。
じゃぁ、そのときに『恐れ』を感じることはあるんだろうか?
もしかすると「自分にうまく描けるかな?」という不安はあるかもしれないけど、
でも『恐れ』を感じることはなかったんじゃないだろうか。
だから、そんな他人の価値観や人生観で左右される必要は全然ないんです。
逆に、そんなことでおたおたするほうがみっともないし、不幸せだと、僕は思っています。
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