2008年09月17日

○描いてチョン


未来っていうのはイメージをすると白紙なのかな。
白紙というのは、実は怖いと思うんですよ。

「何か点1コでもうってくれよ!」みたいなね。

そういえば、以前に僕が尊敬してやまない講師の方のセミナーに参加したときに、
こんなことがありました。
「墨絵を描いてみましょう!」ってことで参加者に白紙が配られたのですが、
う〜んと考えるばかりで、誰も描き始めることができなかったんです。

そのときに講師の方が、

「白紙じゃね『何かを描いてください』って言われても、何も描けないでしょ。
ではまず○を描いて点をうってみましょう。○描いてチョン!」

っておっしゃったことが、すごく印象的でした。
そしたらみんな、○描いてチョン!とすると不思議なもので、そこからは自由に描けるようになんたんです。

でも漠然とでしょうけれど、みんな描きたいものがあったと思うんです、
描き始める前は。
何らかのイメージがあったんじゃないかな。

白紙なんだから、何でも描いていいんですよ。
でも、描けなかった。一歩目が怖くて踏み出せなかった。

でも○と点が入っただけで、
「あぁな〜んだ、それでいいのか、そんなんでよかったんや」
みたいな安堵感が出てきたと思うんです。
そこからは○と点をもとにイメージしなおして、墨絵を描いた。

もし講師の方が「この魚を描いてみましょう!」って魚を持ってきたら、どんな墨絵を描いたでしょうか。
ほとんどの人が、紙に魚の全体が入るようにして、頭が左にある魚の絵を描いたんじゃないのかな。

本当は正面からみた絵を描いてもいいし、背中からでも、お腹からでも、ましてや尻尾からでもいいはずなのに。

小学校のときにこんな絵を描く子が、クラスに一人か二人必ずいましたでしょ。
でも大人になったら、その数はぐんと減ると思うんですよ。
なぜなんだろう。

もっと極端な話をすると、もし講師の方が「この墨で描かれた花の絵をそっくりそのまま描いてみましょう」と言ったら、どんなことが起こっていたでしょうか。

たぶん誰も何の違和感もなく、お手本の花の絵を描いたんじゃないのかな。
それもできるだけ、お手本に近づけようとして。

じゃぁ、そのときに『恐れ』を感じることはあるんだろうか?
もしかすると「自分にうまく描けるかな?」という不安はあるかもしれないけど、
でも『恐れ』を感じることはなかったんじゃないだろうか。

だから、そんな他人の価値観や人生観で左右される必要は全然ないんです。
逆に、そんなことでおたおたするほうがみっともないし、不幸せだと、僕は思っています。
posted by マツモト at 15:19| Comment(28) | TrackBack(4) | 心躍るお話し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月08日

祝福あるのみ

『A Cource in Miracles 』では次のように書かれています。

「過去はそれがもたらした祝福のみを残して、すべて去ったのだ」

じゃあ脳の学習則は無駄なのかというと、とんでもない。
ものすごくありがたいはたらきです。

つまり、過去の経験から予測が立てられるようになるので、その予測から自己防衛に結びついたり、新たな成功体験に結びついたりできるからです。

と考えると、昔の自分と今の自分とでは、今の自分のほうが多くの経験を積んでいるわけですから、間違いなく今の僕のほうが成長しているんですよ。

それは成功体験じゃなくても全然構わない。

日々、生きているだけで新たな情報は入ってくるわけだし、新たな体験を積み重ねているわけだし、それらの中から様々なことを感じているわけだから、それだけで十分成長している。

だから別に5年、10年も経たなくても、1年後でも半年後でも1ヶ月後でもいいんです。

すでに過去の自分よりも成長しているんです。

ということは、あえて過去の苦しい記憶や感情と結び付ける必要は全然ない。
過去の自分よりも成長しているわけだし、周りの状態も環境も違っているわけだから。
 
もし「成功体験を積み重ねることでしか、人間は幸せを得ることができない」とするならば、成功体験の多い人はもっともっと幸せになっていないとおかしいでしょ。

もしかすると、可能性の高さから考えるとそうなのかも知れない。
でもお金をたくさん持っていても、幸せじゃない人だってたくさんいますよね。
っていうか、「そもそも成功ってなんやねん?」って話ですけど。

ましてや人間っていうのはもう何千年と生きているんだから、過去からものすごく多くのことを体験し学んできたはずなんです。
だったら、もっともっと幸せになっていてもおかしくないはずです。

2008年09月01日

まだ大半の人が眠っている

多くの本には

「全ての答えは自分の中にある」
「幸せを感じるのは今しかない」
「幸せは今、ここにいることである」

といったことが書かれているわけです。

頭の中ではわかっている。
でも、できないんです。

確かにジョージ・ルーカスやブルース・リーや宇多田ヒカルや
「マトリクス」のウオッシャウスキー兄弟のように、
先天的にそれをわかっている人がいて、
若いうちからそれらをそれぞれのフィールドで表現できる人たちもいます。
僕はようやく、その心境に達しました。

スピリチュアル的に言えば、「目覚めている状態」と言いますね。
「マトリクス」で言うところの、「マトリクス側で眠っている」のではなく、
「マトリクスから目覚めた」状態なんです。


No! Try not. Do. Or do not.There is no try.
「やってみるのではない。やるのだ。試しなどいらん。」
『スター・ウォーズ』

Don't think you are, Know you are.
「『速く動こう』と考えるな。『速い』と知れ。」
『マトリクス』

少年:「スプーンを曲げようとしちゃダメだ。そんなことできない。そうじゃなくて、ただ真実を見ようとするんだよ。」
ネオ:「真実?」
少年:「スプーンなんてない。」
ネオ:「・・・スプーンがない?」
少年:「そうすればスプーンを曲げるんじゃないってわかる。自分のことなんだ。」
『マトリクス』


こうなると世界の見方が変わります。
何も恐れることはない。
ただ、自分の内面が外に現れているだけのことだと。

この感覚は、これまでの人生とは全然違ったものになっています。

2008年08月25日

幻想を打ち砕け

カントはその著書、「純粋理性批判」でこう述べています。
「二律背反とは、理性で考えたときに起こる現象である」と。

つまり、宇宙や豊かさなどは、人間の理性の範疇をとっくに超えており、
それ以上の、想像以上のものが僕たちに常に与えられていることを気づいていけば、本当にこの世界は、豊かで素晴らしく、美しいものだと実感できます。

世界中には戦争や貧困や飢えがありますが、この世が豊かであるなら、
なぜそのような問題がずっとあるのかを考えてみたことがあります。

ある記事で、世界中で採れる食物を全部足すと、全人類を養える上に、
食物は余ってしまうというのを見ました。
ただ、人間が学ばなければならないのは、その分配方法なんだと。

そう。この世界は、すべての生きとし生けるものを生きながらえさせるだけの
愛と慈悲に満ちあふれています。

それでも、戦争や貧困や飢えがなくならないのは、人間が持っている「恐れ」から起きる経済的な搾取や略奪が世界中に不公平を生み出しているのです。

もちろん、戦争の中で宗教的なイデオロギーの違いで起きているものもありますが、
それとて、本来、恐れるものは何もない。

誰からも奪われないし、誰かから奪い取る必要もない。
それだけ世界は豊かなのに、人間が幻想として持っている「恐れ」が富めるものとそうでないものとを分け隔てています。
posted by マツモト at 10:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 水のようにあれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月18日

周波数をたもて

先日映画を見に行きました。

最近の映画館って、ポップコーンセットってあるんですね。
ドリンク付きでなんと500円のワンコインときたもんだ。
こりゃ、お得だってことで、一目散に売店へ(笑)

店員の女の子と

「いや〜、なんで映画館で食べるポップコーンって美味しいんでしょうねー」
「そうですよねー、なんでですかねー」

なんて会話をしながら、いざ上映開始。

上映終了後、余韻たっぷりに浸りながら、席を立ち、今度は一目散にトイレへ(笑)

トイレにいると、ロビーの方から、なにやら女性のわめき声、というか怒鳴り声が聞こえてきました。

「何かあったのかなー?」

と思っていると、男の子がトイレに入ってきたので、

「ねえねえ、外で何かあったの?」
「うん、えっと、なんかおばちゃんにモノが当たったみたいで、それで、なんか怒ってたみたい」
「ふ〜ん」

と会話しながら、トイレを出ました。すると・・・。

ロビーには人だかりでいっぱい。
なにやら、例のおばさんが、バカみたいに怒鳴り散らしていました。

店員さんに向かって、

「おまえらなー!映画館はちゃんとしているけど、客の教育ちゃんとせんかい!!ぼけー!!」

と大声で悪態をついていました。

そのおばさんを取り巻くように、呆れた顔で館内のお客さん達がそのおばさんを見ていました。

映画の余韻を楽しみ、とてもハッピーな気持ちでいた僕は、

「このおばさんの世界に足を踏み入れてたまるか。
絶対にこのおばさんの周波数に波長はあわせないぞ」

と決め、鼻歌を歌いながら、映画のクライマックスシーンを
イメージしながら、心からニコニコして、そのおばさんの横を風のように(笑)素通りしていきました。

多くの人が、まだそのおばさんの周りで怪訝そうな顔をして残っていました。

かつての僕なら同じように足止めしていたかもしれません。
でも今は違う。

自分の世界に必要のないモノに波長を合わせることはありません。
怒りの念でいっぱいの相手の世界に足を踏み入れる必要もないのです。
posted by マツモト at 10:43| Comment(12) | TrackBack(0) | 水のようにあれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月11日

自分に対する恐れ

僕の友達にMさんという女性の方がいるんですが、
Mさんは離婚経験者で2人のお子さんがいらっしゃいます。
そのMさんに彼氏ができたのですが、その恋愛に対して
更に踏み込めない自分がいる。

それは彼女曰く、過去に自分は一度離婚をしているから、
また同じことをしてしまったらどうしよう、
という『恐れ』からだそうです。

最初は『恐れ』があるなんて、Mさんは気づいていなかった。
僕のところに、「なんで彼とうまくいかないのかな?」
といった相談のメールが届いたのですが、
その状況が僕には手に取るようにわかった。

だから「Mさんは何か恐れているでしょ。」ってメールを送ると、
「離婚をした後もいくつかの恋愛はしてきたけれど、どれもうまくいかなかった。
だから、また同じようなことを繰り返したら、って考えると、これ以上踏み込めなくなってしまう。」
と返事が届きました。

この場合、過去のトラウマじゃないけれども、
Mさんにとっての嫌な思い出が、
心のクセを『恐れ』を作り出していたんです。

このように、過去の嫌な思い出や悲しい経験などと
常に結び付けて考えるのは、実は人間の脳のはたらきに
よるもののようです。

脳科学の観点から見ると、脳の学習則というのは
物事の起こった順序が学習にきわめて重要な影響を与えるようで、
次のように説明されています。

「脳は強い刺激を受けとるよりも時間的に少し前に入力されていた情報を、この強い情報と関連づけて学習する性質がある」「脳はその学習則によって、ある事象と時間とを連関させて記憶している。そしてこうして順序だてて積み重ねられた記憶は、何か衝撃的な事件に遭遇することによって、覚えた時間順序に従ってプレイバックされることがある」(『愛は脳を活性化する』松本元著・岩波科学ライブラリー)

これをもとに考えると、Mさんの場合であれば、
「この人とずっと一緒にいたい」という気持ちが出てくると、
「過去に辛い、悲しい思いをして離婚をした」という記憶が思い出されてくる。


そうすると、自分自身に対する『恐れ』というものは、
脳が学習をした結果、「自分をこれ以上傷つけたくない」という、
自分自身への優しさからくるものなのかな。
まさに自分自身を愛しているからなのかな。

わかりやすく言いますと、あなたに気になる人ができたとしますね。
そしたら、こんな恐れが出てきた経験があるでしょ。

「話しかけてみたいな→でも、そっけなくされたらどうしよう」
「メールアドレスを教えてほしいな→嫌な顔をされたらどうしよう」
「食事に誘いたいな→断られたらどうしよう」

まだ実際に行動を起こしたわけでもないですし、
既に相手に断られたり、嫌われたりしたわけでもない
にもかかわらず。


でも、物事の状況を第三者的な立場から見直してみると
よくわかるのですが、物事が上手くいかなかった場合、
過去の嫌な思い出や悲しい経験が直接の原因ではない、
ということが見えてくるはずです。

例えばMさんの場合でいうと、
相手も違えば、2人の置かれている状況も
これまでの経験も環境も、今までとは違うわけですから。

ただ、これまでに経験してきたことでしか、
結び付けられるものがないので、そうやっている。

でも不思議なもので、そうすることで自分の中では
変に納得できてしまうんですよね(笑)。

確かに、過去の経験と結び付けてしまえば、
うまくいかない理由を人に説明するのもしやすいですし、
伝わりやすい。

でももしかすると、
それがいつのまにか本当の理由になって、
『心のクセ』に繋がっていくのかもしれません。
 

2008年08月04日

もう一度・・・世界は怖くない

先日、たまたまCATVをつけたら「ナイトホスピタル」というドラマの再放送をやっていました。

仲間由紀恵が女医さんで、難病を解決していく推理小説的な要素を含んだ内容です。

第1話を見ておもしろかったので、ずっと見ていたのですが、7話くらいで三船美佳が演じるウェイトレスさんが乳ガンの手術を受ける話が出てきました。

上半身裸になり、彼氏に「おっぱい取っちゃうかもしれないんだよ。もう赤ちゃんにオッパイあげれないかもしれないんだよ」と伝えていました。
それを聞いた彼氏は、「取るだけで、命の方が大切じゃないか」と言うんです。

それを後から聞いた、仲間由紀恵が彼氏にこういいます。
「正論で正しいけど、オンナはそんなことを言ってほしいんじゃないんです!
夏になって水着の季節になったら落ち込むし、鏡を見ても片方の胸がない・・・
そんな気持ちをずっと持ち続けるんです。」

それを見ながら、僕自身考えていました。
もし、嫁さんや恋人がそうなったら、どんな言葉をかけてやられるだろうかと。
正直、男には分からない領域です。

患った人にとって、とても怖い世界になるでしょう。
孤独や恐怖が存在する世界になるでしょう。

僕たちが住んでいる世界は、豊かで、本当に何も怖いものなんかありません。
世界は安心できるものなんです。

でも、言葉を失うときや、想像を超えて自分の中の言葉が見つからないとき。
その時は、ただ、その人のそばにいてあげることしかできません。

そばにいてやれなくても、常にどこかから見守るだけです。
仮に遠く離れていても、その人の心の中に、穏やかさと平安でいっぱいに満たされるように祈ることでしょう。
posted by マツモト at 10:58| Comment(0) | TrackBack(1) | 愛に関するお話し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月28日

恵みある、美しい世界



幻想である恐れを手放すには、自分自身が豊かであることを実感すること。

どれだけ自分に与えられているか、無数の恵みが降り注いでいるかに気がつけば、恐れは消えてなくなります。

そして、その豊かさの実感こそ、自分を幸せにし、周りを幸せにし、ひいては世界中を幸せにする大きな一歩になるのです。

僕たちは「恵」みのある「美」しい世界に生きています。

僕はこの世界を愛しています。愛してやみません。

たとえ世界が愛してくれなかったとしても、愛することを止めないでしょう。

それがこの世界の真理そのものなんです。

もっと言えば、それが僕が生きる世界そのもの。

自分の中で世界が感じ取れるようになれば、何も怖いものはありません。

誰かを出し抜いて一番になる必要もない。

生きていくのに競争に身を投じる必要もない。

自分自身が特別な存在であると分かれば、それでもともと一番なのだから・・・。

そのままの、素顔のあなたそのものを愛していくのですから・・・。
posted by マツモト at 10:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 愛に関するお話し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月22日

ブルースの世界観


ブルース・リーにこんなエピソードがあります。

ブルースとスタッフで御飯を食べに行った時のこと。
そこのレストランの店員が、オーダーを取りに来た時に、有名人であるブルースに対して、あからさまに無礼な態度を取りました。

それを見たスタッフの人間が「なんだあの無礼な態度は!!」と怒りました。しかし、ブルースを見ると、ニコニコしています。

スタッフの人が聞きました。

「おい、ブルース、君は腹が立たないのか?あんな無礼な態度を取られて。」

それに対して、ブルースはこう答えました。

「僕がみんなと気持ちよくレストランに御飯を食べに来ているのに、なんでそんなことで気分を害さないといけないんだい?」

ブルースは決して相手の波長に合わせることはありませんでした。
なぜなら、彼は自分自身の人生を歩んでいたからです。

自分の世界に必要のないモノに波長を合わせることはありません。
不快な相手の世界に足を踏み入れる必要などないのです。
posted by マツモト at 14:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 水のようにあれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月14日

魂は知っている

人の行動の動機は「痛みを避けて快楽を得るため」という説があります。
確かに今までの自分の行動を振り返ってみても、思い当たることはたくさんあります。

例えばお金を工面するために、本当の自分の声は「やりたくない」と言っているにもかかわらず、「食っていくために」とか「女房子供を食わせるために」という理由で、その仕事を引き受けたりすることは、日常茶飯事ですよね。

僕らの想いの軸はあるんだけれども、イメージは常に漠然としているわけじゃないですか。

だからまずは『自分の声』にしたがって行動してみて、違和感があったり、うまくいかなかったりした場合は自分と対話をしながら試行錯誤して進んでいく。

その中から
「あ、もしかしたら自分がイメージしていたのはこれだったかも。
本当に求めていたのはこれだったかも。」
っていうのがあるでしょ。

例えば仕事でもいいですし、恋愛でもいいですし、趣味とかスポーツとか何でもいいんですけど。

これを『的の置き換え』っていう方もいらっしゃるのですが、
イメージのすり替えとでもいいますか、諦めとはまた違うものでしょ。

とにかく自分の中でしっくりきていれば、それでいいと思うんですよ。

例えば僕の友人Fの場合だと、バスケットボール。
彼は小学校の頃からバスケをやっているんだけども、ずっと続けてこれたわけじゃない。

そのときそのときで、Fさんの中でバスケより優先しなければならなかったものがあったときは、バスケができなかったそうです。
それは、勉強だったり、大きなケガだったり、仕事だったり。

でも自分の中でバスケのない生活は、心がどこか満たされていなかったそうです。
何か物足りないと感じていた。

「何が足りないんだろう」って考えたら、バスケだったそうです。
バスケと一緒に喜びを分かち合える仲間だったそうです。だから今でも続けている。

やっぱりバスケなんてハードなスポーツだから、30歳を過ぎてもやる人って少ないそうです。

もちろん体力的な部分や、仕事や結婚して子供ができたなど色々な要因があるみたいですけど。

でも続ける人は続けるそうです。
大人になってブランクが空くと、体力的にはかなり厳しくなるみたいですけど、それでも戻ってくる人もいる。

たとえバスケで手術をしなければならないほどの大きな怪我をして、会社に迷惑をかけても、続ける人はやっぱり続けるんだそうです。

入院中は「もう辞めなアカンわ」と言っていたにもかかわらず(笑)。

別に彼らはプロでもなければ、過去にものすごい結果を残した人たちでもないのに。

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